貸したものに対して責任を持つということ
「どうして、こんなにいろいろできるのですか」
「どうして子どもたちにルールを伝えてくれなかったのですか」
「どうしてもっと考えてくれなかったのですか」
ある先生から言われた、この言葉。
“貸したものに対して責任を持つ”という意味を見つめなおすきっかけとなった言葉。先を見通してご相談させていただくということの大切さを実感した言葉。
私は教育関係の仕事をしている。そのため、〇〇の実証をします!となると学校にご協力をお願いすることになる。
iPadを使って実証をします!!!
最近でこそEdTechという言葉を頻繁に耳にするけれど、ちょっと前まではあまり耳にしなかった言葉。iPadで?アプリを使うの?え?そんな始まりだった。
こういった実証をするとき、企業が端末などを実証用に貸し出す場合がある。(もちろん学校自前の端末を使用いただくこともある)この端末の貸し出し。貸し出すということは、入っているアプリなどに責任を持つことではないかと今は思う。
たとえ、その町の要請でインストールしたアプリが入っていたとしてもだ。
それはなぜか。先生から見れば、どちらも同じ端末にインストールされているので、このアプリは企業より指定されたもの、あのアプリは町で指定されて入ったものの区別はないからだ。だから、訊かれる。そのため、とにかく調べた。他社のアプリの使い方説明会ができるくらい、調べた。分からなければカスタマーサポートに連絡して説明できるようになるくらいに。
最初は、正直なところ「町から指定されたアプリの使い方は、町に訊いてほしい」と思っていたけれど、実証が進まなくなる方が怖い。とにかく「これって...」という質問に対して確実に答えられるようにした。その結果、どうにか実証は進み始めた。
しかし・・・
大切なことが抜けていた。それは、「子どもたちと端末やアプリを使うときのルールを考えませんか?」という提案だった。私は、自分勝手に「先生がやってくれるであろう」と思ってしまっていた。貸したのはこちらなのにも関わらず、である。
先生としては、「そちらが貸し出ししているのだから、そちらでやってほしい」と思われていたかもしれない。
町指定のアプリを活用していた際に起きたトラブル。最初の言葉に戻る。
「どうして、こんなにいろいろできるのですか」
「どうして子どもたちにルールを伝えてくれなかったのですか」
「どうしてもっと考えてくれなかったのですか」
ただただ、謝ることしかできなかった。対処法を調べ、全て対処。
この件があってからというもの、使う際のルールに関して必ずお伺いするようになった。 一緒に考えてほしいと言われれば、一緒に考える。もちろん、大丈夫です!と言われれば、それ以上深入りしない。
貸したものに責任を持つということは、ここまでやればよいという決まりはない。しかし、私は、ここまで考えた上で行うことがベストなのではないかと思う。(が、やりすぎなのかな。)